鹿島御児神社について
当神社は延喜式名帳所載の式内社で国史現在社として最も由緒深い神社であります。
当神社創建の由来縁起についてこれを明らかにする史料がありませんが、従前の調査及史蹟、口碑、伝説、社蔵文書の調べによりますと、往古関東の鹿島、香取の両神宮祖神の御子が共に命をうけて海路奥州へ下向し東夷の征伐と辺土開拓の経営に当たることになりその乗船がたまたま石巻の沿岸に到着碇舶して錨を操作した際、石を巻きあげたことから、石巻という地名の発祥をみたのだとの言い伝えがあります。
石巻に上陸された両御子は先住蛮族地帯であった奥州に於ける最初の史跡を印した大和民族の大先達であり開拓の先駆者として偉大な勲績を残された地方開発の祖神であります。
当神社は代々の使臣藩主等の尊崇厚く社領を寄進し、幣物を奉り又社殿を修築し、宝物の寄進などもあります。
明治七年旧村社に列し、大正十年旧郷社に列格。昭和十年には旧県社列格しました。
ご祭神は武甕槌命 鹿島天足別命の親子二柱で武神を祀っております。
職業繁栄、安産、悪疫除け、交通安全、海上安全守護
交通安全祈願、安産祈願、初宮詣など様々な人生の節目もお参りされる方も多く思い出の場所となっており、
市民には「ひよりやまさん」や「日和山神社」の愛称でも親しまれています。